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羅針盤、アストロラーベ、キャラヴェル船:海上の航法

1480年の船乗りは、北極星の高さから自分がどれだけ北にいるかを割り出せましたが、船がどれだけ東や西へ進んだかを確実に知る方法は、誰にもありませんでした。

北極星の高さを測るのに使った航海用アストロラーベ。1 親指に掛けて真下に垂らすための輪、2 度数の目盛りがついた真鍮の輪、3 風を通す開いたスポーク、4 照準の定規(アリダード):両方の照準が星に重なるまで回す、5 北極星、6 水平線。弧は目盛りから読み取る角度を示し、ここでは38度で、およそリスボンの緯度にあたります。

陸が見えない海での3つの問い

海岸が水平線の下に沈んだとき、航海士は3つの問いに答えなければなりません。船はどちらへ向かっているか。どれだけ北、または南にいるか。どれだけ東、または西へ来たか。15世紀には、1つ目の問いには良い答えがあり、2つ目には使える答えがあり、3つ目にはありませんでした。船乗りは、東西の位置を推測航法で見積もりました。船の速さを見積もり、時間と羅針盤の方位を記録し、最善の推測を海図に記したのです。海流と風圧流、つまり風に押された船が横へ流されることのせいで、その推測は日ごとに悪くなりました。海上で経度を確実に知る方法は、18世紀に正確な航海用時計が登場して、ようやく生まれました。

羅針盤

磁気を帯びた鉄の針は、自由に回れるようにしておくと、おおよそ南北を指して止まります。そのような針についての最も早い明確な記述は中国のものです。学者で官僚の沈括は、1088年に刊行された『夢渓筆談』で、その作り方と使い方を述べました。その数十年後には、家族が広州の港に住んでいた著述家の朱彧が、太陽や星が見えないとき、海の水先案内人が針を頼りに舵を取っていると書きました。ヨーロッパで、船乗りが使う磁化した針についての最初の言及が見られるのは、イングランドの学者アレクサンダー・ネッカムが1190年ごろに書いた本です。ヨーロッパ人が羅針盤をアジアから学んだのか、自分たちで考え出したのかは、今も歴史家の間で議論されています。

空から緯度を知る

北極星は北極のほぼ真上にあるので、水平線からの高さは観測者の緯度にほぼ等しくなります。赤道では水平線上にあり、リスボンでは約38度の高さに見えます。この角度を測るために、船乗りは四分儀や航海用アストロラーベを使いました。これは度数の目盛りがついた重い真鍮の輪で、中心のピンで回る照準の定規がついています。航海士は重力で垂直になるよう親指から吊るし、両方の照準から星が見えるまで定規を回して、角度を読み取りました。赤道より南では北極星が見えなくなるので、ポルトガルの水先案内人は、代わりに正午の太陽の高さを測り、1年の毎日の太陽の位置を載せた印刷された表で補正することを学びました。

キャラヴェル船

ポルトガル人をアフリカの海岸沿いに南へ運んだ船は、15世紀から16世紀の小さく軽い船、キャラヴェル船でした。船体の喫水が浅いので、浅い海岸や川の河口を探検できました。三角帆、つまり斜めの長い帆桁に掛けた大きな三角形の帆のおかげで、北ヨーロッパの横帆船よりも風上に切り上がれました。これは帰りの航海で大切でした。アフリカ北西部の沖では、北へ向かう船に向かって風が安定して吹いていたからです。のちのキャラヴェル船は、前のマストに横帆、後ろに三角帆を組み合わせることがよくありました。1492年のコロンブスの3隻のうち2隻、ニーニャ号とピンタ号はキャラヴェル船でした。

三角帆を持つ2本マストのキャラヴェル船。1 三角帆:2 長い斜めの帆桁に掛けた三角形の帆、3 浅い船体、4 船尾の舵、5 船尾の高くなった甲板、6 風。特定の船ではなく、一般的な型を示した略図です。

航海王子エンリケとボジャドール岬

ポルトガルのエンリケ王子(1394年から1460年)は、航海王子として記憶されていて、アフリカの海岸沿いの航海に次々と資金を出しました。何年もの間、彼の船長たちはボジャドール岬で引き返しました。この岬は、現在の西サハラの海岸にあり、カナリア諸島の南約220 kmにあります。浅い海が岸から遠くまで広がり、波と海流は荒く、安定した北風のせいで、いったん通り過ぎた船は戻りにくかったのです。船乗りたちはその先の海を「暗黒の緑の海」と呼びました。

背景1433年、エンリケは自分の家に仕える従者ジル・エアネスを、その岬を越えるために送りました。エアネスは越えられずに戻り、王子は翌年また彼を送りました。1434年、エアネスは小さな船を浅瀬から離れた沖合へ出し、ボジャドールの先まで下りました。帰りには、海岸沿いの北風に逆らいませんでした。大西洋のはるか沖へ大きく回り込み、そこでは風のおかげで船がポルトガルのほうへ曲がって戻れたのです。この操船を、ポルトガルの船乗りたちは「ヴォルタ・ド・マール」、つまり海の回転と呼びました。彼は、岬の先の海岸で摘んだ植物を持ち帰り、あの土地はほかのどこの土地とも変わらないことを王子に示しました。10年もしないうちに、ポルトガルの船はボジャドールをはるかに越えて進むようになり、1440年代には捕らえたアフリカ人をポルトガルに連れ帰り始めました。単元5で語る物語の始まりです。
北極星は天の北極に正確にあるわけではなく、高度と緯度の差は時刻や時代で変わります。歳差運動のため、大航海時代には現在より天の北極から遠くにありました。航海士はこれに対して、簡単な補正の規則を使いました。
  • 1088: 沈括が『夢渓筆談』で磁化した針について述べる
  • 1117年ごろ: 朱彧が針を頼りに舵を取る水先案内人について述べる
  • 1190年ごろ: アレクサンダー・ネッカムが船乗りの針についてヨーロッパ最初の言及をする
  • 1433: ジル・エアネスがボジャドール岬の手前で引き返す
  • 1434: ジル・エアネスがボジャドール岬を越える
  • 1460: 航海王子エンリケの死
  • 1488: バルトロメウ・ディアスが喜望峰を回る
緯度赤道から北または南の位置。度で表す
経度東または西の位置。18世紀まで海上で確実に知る方法はなかった
推測航法速さ、時間、羅針盤の方位から位置を見積もること
航海用アストロラーベ星の高さを測る、照準の定規つきの真鍮の輪
キャラヴェル船15世紀から16世紀のポルトガルの小型で喫水の浅い船
三角帆斜めの帆桁に掛けた三角形の帆。風上に切り上がりやすい
ボジャドール岬西サハラ沖の岬。1434年にジル・エアネスが越えた
ヴォルタ・ド・マール帰りの風をつかむための、大西洋への大きな迂回
  1. 15世紀の船乗りが確実に答えられなかった問いはどれですか?
    • 船が東西にどれだけ来たか
    • 船がどちらへ向かっているか
    • 船がどれだけ北にいるか
  2. 磁化した針について最も早い明確な記述を書いたのは誰ですか?
    • 沈括
    • アレクサンダー・ネッカム
    • 航海王子エンリケ
  3. 北極星の高さは、船乗りに何を教えてくれますか?
    • おおよその緯度
    • 経度
    • 船の速さ
  4. アストロラーベにスポークが開いていたのはなぜですか?
    • 風で揺れないようにするため
    • 持ち運びを軽くするため
    • 飾りのため
  5. 三角帆はキャラヴェル船にどんな利点を与えましたか?
    • 風上により切り上がれた
    • より多くの貨物を積めた
    • 風がなくても漕げた
  6. 1434年にボジャドール岬を越えたのは誰ですか?
    • ジル・エアネス
    • バルトロメウ・ディアス
    • クリストファー・コロンブス
  7. ヴォルタ・ド・マールとは何でしたか?
    • 帰りの風を見つけるための、大西洋への大きな迂回
    • ポルトガルの硬貨
    • 羅針盤の一種
  8. 航海士が北極星を水平線から38度の高さに測りました。北緯およそ何度にいますか?
  9. 春分または秋分の日に、正午の太陽が南の水平線から52度の高さにあります。北緯何度ですか?
  10. 推測航法で、船が時速8 kmと見積もった一定の針路で24時間進みます。何km進みましたか?
  11. 次を古い順に並べましょう。
ポイント
  • 羅針盤は方位を、北極星や正午の太陽は緯度を教えてくれますが、経度は18世紀まで推測のままでした。
  • 磁化した針は、1088年の中国で初めて明確に記述され、ヨーロッパでの最初の言及は1190年ごろです。
  • キャラヴェル船は小さく喫水が浅く、三角帆のおかげで風上により切り上がれました。
  • ジル・エアネスは、大西洋へ大きく回り込むことで、1434年にボジャドール岬を越えました。
出典:Brill, Journal of Jesuit Studies 13(沈括と朱彧について)。New World Encyclopedia と Wikipedia「History of the compass」。The Mariners' Museum「Caravel」。Encyclopedia.com(Gale, Science and Its Times)「Gil Eannes passes the point of no return at Cape Bojador」。Oxford Reference「Gil Eanes」。
このコースの出典 (16)
  • slavevoyages.org (Trans-Atlantic Slave Trade Database, "Estimates" and "The Trans-Atlantic Slave Trade Database" methodology essay: 12.5 million embarked, 10.7 million disembarked, about 36,000 voyages)
  • US National Park Service, "The Middle Passage" (nps.gov/articles/the-middle-passage.htm)
  • The National Archives (UK)
  • "British transatlantic slave trade records" research guide and "The 1833 Abolition of Slavery Act and compensation claims" (nationalarchives.gov.uk)
  • Historic England, "Notable legal cases" (Zong)
  • legislation.gov.uk, Slavery Abolition Act 1833
  • Library of Congress, "Recognizing and Naming America: Waldseemüller’s 1507 Map" and press release PR 03-110 (18 June 2003)
  • The Mariners’ Museum, "Caravel" (exploration.marinersmuseum.org)
  • Smithsonian Magazine, "Alfred W. Crosby on the Columbian Exchange"
  • Britannica, "The Columbian Exchange", "Vasco da Gama", "Ferdinand Magellan", "Tupac Amaru II"
  • IIAS The Newsletter 89 (2021)
  • "Ambon 1623 / Banda 1621"
  • Encyclopedia.com (Gale)
  • "Gil Eannes passes the point of no return at Cape Bojador"
  • Brill, Journal of Jesuit Studies 13 (Shen Kuo 1088, Zhu Yu on ship compasses)
  • Natural Earth coastlines (public domain).

確認日: 2026-10-17